令和6年4月26日 国指定史跡「志村一里塚石柱除幕式」が開催されました

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ページ番号1052765  更新日 2024年4月30日

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左から、志村町会・齋藤剛彦さん、小池百合子都知事、坂本健板橋区長

令和6年4月26日(金曜日)午前11時、東京都教育委員会が主催する「志村一里塚石柱除幕式」が開催され、小池 百合子(こいけ ゆりこ)東京都知事や坂本 健(さかもと たけし)板橋区長らが出席しました。式典では、今回、新たに小池都知事が揮毫(きごう)した石柱がお披露目され、石柱の建立を祝って多くの人が参列しました。

 式典に出席した坂本区長は、「東京に訪れる多くの方々にこの石柱、対になっている榎を見ていただき、歴史の大切さ、文化財の素晴らしさを感じてもらいたい。これからも志村一里塚を地域や国、板橋、東京の財産として守っていただけますよう、皆様にお願いいたします」と挨拶しました。

国指定史跡「志村一里塚」のご紹介

江戸時代、徳川家康は街道整備のため、慶長9(1604)年に諸国の街道に一里塚の整備を命じました。

一里塚は、江戸日本橋を起点とする全国の街道沿いに、1里(約4km)毎に築かれたもので、中山道では、本郷森川宿、板橋宿平尾につぎ、志村一里塚は第3番目の塚となっています。

一里塚は、旅人にとっては道のりの目安となるだけではなく、塚に植えられた榎などの木陰が休憩場所となっていました。しかし、明治時代になると交通体系の変化もあり、明治9(1876)年には「一里塚廃毀」の法令も出され、全国的に取り壊しが進んだと考えられています。

当時、区内には中山道の平尾(現JR板橋駅近辺、日本橋から2里目)と志村(同3里目)に一里塚が存在しましたが、志村のみが取り壊されずに残り、大正11(1922)年3月に国の史跡に指定されました。2基一対で残っている一里塚は全国的にも少なく、都内では北区西ヶ原のものと二ヶ所のみとなっています。

現在も、志村一里塚は毎月地元の町会の方々による手入れや清掃が行われており、周辺地域の住民の方々によって400年以上にわたり貴重な文化財が守られています。

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